LAST DANCEと光射す方への話。
勿論同じ人が作詞作曲した一連のアルバムとかではないので、あくまでいちファンの妄想といいますか、二次創作的な感覚で読んでいただけると幸いです。
ラスダンが"to夜"な感じで、ヒカサスが、夜から朝っぽい感じなのが最高に最高*1
ジャケットの背表紙(?)もラスダンは黒でヒカサスは白だったので、よりその印象があるんですよね
M1、LAST DANCE*2では「僕」が「君らしく暴れていいんだ」「一晩中踊ろう」と導いてくれます。
2番のラップの部分でも、手取り足取りステップを踏ませてくれる。
『僕の全てを好きにすればいい』という歌詞に一瞬宇宙猫になりましたが、これも含めて「君らしく暴れ」られるように“僕”が導いてくれてるんですよね。
この感覚、愛の詩*3にも近いな、と思ったんですが、やっぱり私の大好きな由潮さんの作詞でした。
M2、Beautiful Nightで僕にとっての流星である君と、君にとっての流星である僕が互いを照らすわけでして。 その中には、自分が相応しくないかもしれないっていう不安もあるし、傷つけ合ったり、すれ違うこともある。
M3のOkay. で「君」は「僕」に、「今日の君は昨日の僕だから、心配はいらないよ 大丈夫じゃなくても大丈夫だよ」と言われる
で、その後の歌詞で、「君には君を信じる強さを 僕には君を信じる愛を」って出てくる 僕にとっての“君”の姿は、“昨日の僕”でもあるわけで。
今の“君”に「だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ」と言ってあげられるのは、It’s ok not to be ok を経験した僕だからこそであって "昨日の僕"がそう言えるようになったのは、自分を信じることが出来たから
It's ok notも含めて"君自身"を愛するし、そうしてきた"昨日の僕"のことも愛するんですよ…! 天才すぎる
「上手くいかない、大丈夫じゃなかった事も含めて今の自分なんだ、だから君も大丈夫だよ」(この、僕が信じる君を信じろ、みたいなの最高過ぎません?????)と歌ったあと、その次に出た曲が光射す方へなのやばすぎる。
光射す方への自分は、"今の君"のことで"昨日の僕"のことでもあると思うんですよ。 でも、"今の僕"も悩みだとかが一切ないってことはなくて、乗り越えたなりの某と向き合ってるはずで。 言うなれば"現在形の僕"の思いなんじゃないかな、と。 とくにラスサビでそれが顕著に表れてる気がする
Follow Me Nowでは、浮かない顔をして無理をしている人たち(≒君)にむけて、僕が「今夜はわすれて楽しもう!」「今夜は楽しい夜を一緒に過ごそうよ!」って言ってくれるんですよ。 しかも「みんなで楽しい方が楽しいじゃん!(意訳)」って言ってくれるの。 そんで踊るの。
LAST DANCEでは、僕が手取り足取りって感じだったけど、 Follow Me Nowの方は、私達が自分で、自分の思う通りに踊るわけですよ。 君が君を信じたことを、僕が信じる僕が愛して、信じているからこその「自ら踊る」っていう行為 余りにも最高過ぎる。
LIFEの歌詞は、マジで、本当に天才。marhyさん神。 Beautiful Nightでは、「照らし合い輝き合うお互いが、お互いの流星で、お互いを未来へ導く」ってことがかかれてたんですけど LIFEで「月がみえない夜は未来さえ失ったり」って書いてあるんです。 やばくない?
*1:本記事では、シングルタイトルのLAST DANCEと光射す方へを「ラスダン」「ヒカサス」と略称で表記しました。正式名称で書いてある方は曲名です。